千徳寺の歴史

普明山千徳寺


普明山千徳寺は禅宗臨済派に属し、北野町灰塚に在り、天喜年間(1054)の創建にかかる。此の寺は元来北野天満宮の宮寺であり、天台宗二十八ケ寺の一つに属し、本尊は聖観世音菩薩である。此のみ仏は行基の作と伝えられ、国主草野長門守の尊崇浅からず、應永年間(1394)観音免地として田畑五町が寄進せられ、のち古賀城主岩橋麟可の菩提寺となった。天正十四年七月(1586)島津勢が古賀城の岩橋麟可を攻撃するに方り、当寺も兵火に罹り堂塔伽藍悉く焼失した。此の時岩橋氏も亦衰え当寺も一栄一落幾度か変転して退転した為、御井郡合川村福聚寺の古月和尚の四世、多か孝堂禅黙禅師に依って再興され、天明三年(1783)有馬頼徸に依り、筑後三十三ヶ所観世音霊場の第十三番札所となった。其の御詠歌に曰く


此の寺に詣ふで北野のほととぎす

一声きくも千々の幸


とあり、文久三年(1863)栄叟和尚が更に再興し、良渓和尚が経営を続け、大庄屋田中政義が専ら工事を監督して完成した。然るに明治四十二年五月二十一日三度火災に罹り、仏像経巻堂塔伽藍悉く灰塵に帰したか、其の後亦漸く再建され現在に至って居る。


「筑後河北誌」 著者:柳 勇   昭和五十四年十月三十日 発行


普明山千徳寺


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